あかおくまがたに

赤尾熊ヶ谷古墳群(消滅)

宅地造成に伴い発掘調査されたのが2002年で現地説明会はなく自由見学。行った時は担当者もおられなくて、正直あまり印象に残っていません。今回紹介する4基の内、3号墳を除き調査後消滅し住宅街になり、その面影は全く感じられません。尚、この古墳群の周辺(鳥見山山麓)には未確認の古墳が相当数あると思われ、この古墳群の位置づけは今後、調査があれば、あわせて考える必要があるかと思います。個人的には額田王の娘の、十市皇女が赤穂(赤尾か?)に葬られたとあり、いつの日か「十市皇女の墳墓発見!」という事もあるかも知れません。ロマンの世界かも知れませんが(笑)・・ 

おすすめ度(☆1.0)・・・殆ど消滅

↑赤尾熊ヶ谷古墳群(桜井市文化財協会)より引用

★所在地:桜井市赤尾

★概要:鳥見山から北西に派生する尾根上に形成された古墳群。宅地造成に伴い新たに発見された3基を含め4基の古墳が調査されました。

★発掘調査:2002年9月~12月(桜井市教育委員会)

 

●1号墳・・・一辺13m×15m,墳丘高1.2mの方墳。埋葬施設は長さ3.5m、幅1.6mの墓壙に刳抜式木棺が収められていたと考えられます。墳丘、埋葬施設ともに大きく流出しており出土遺物は見つかっていません。築造時期は2号墳との関係から4世紀前半と考えられています。調査後消滅。

●2号墳・・・一辺14m×16m、墳丘高約1.5mの方墳。埋葬施設は長さ4m、幅2.3~2.7mの墓壙に2基の刳抜式木棺が収められていました。出土遺物として棺内から内行花文鏡1面、ガラス製小玉、管玉、勾玉が墓壙内から鏃,槍、鑿、鉇、鎌、斧などの鉄製品と内行花文鏡、管玉、掘割から古式土師器などが出土しており4世紀前半の築造と思われます。調査後消滅。

●3号墳・・・一辺16m×15m、墳丘高2.5mの方墳。埋葬施設は長さ5.4m、幅約1.7mの墓壙に刳り抜き式の木棺がおさめられていました。木棺は長さ5.2m、幅60~67㎝、副葬品は棺内から剣、勾玉3点、玉類が多数出土しています。そのほか円筒埴輪、鶏形埴輪などが出土。

これらより5世紀前半~中頃に築造されたと考えられています。

●4号墳・・・径6m、墳丘高1.75mの円墳。埋葬施設は東に開口する無袖式の横穴式石室で残存長は3.5m、幅(奥壁)84㎝。出土品は須恵器壺の小片のみ。築造時期は概ね7世紀初め頃。す。

【参考文献】

・桜井の横穴式石室を訪ねて(桜井市教育委員会)

・赤尾熊ヶ谷古墳群(桜井市文化財協会)