ほとけづか

仏塚古墳

 法隆寺の背後の広い谷の中央部の田圃の中にあつて、割合見つけやすい古墳ですが、普段は施錠されて石室内には入れません。石室は一部に巨石もありますが、全体的には小型の石材で、玄室部は6~9段積み、羨道部では2~4石積みで、巧みに積まれている印象を受けました。石室全体が不思議と落ち着いた空間という感じがして、中世には仏堂的役割を担っていたと言うのがうなづける上品な感じのする石室でした。

おすすめ度(☆4.0)

★所在地:生駒郡斑鳩町平尾

★墳形:方墳(一辺23m)但し現状は南北16m、東西18m、高さ4m、中央南西部に開口。

★石室:両袖式横穴式(現状長9.4m)玄室長3.9m、幅1.9~2.2m、高さ2.7m 羨道長5.5m、幅1.4~1.8m。玄室部の幅は奥壁部で2.2mですが、羨道部に近づくにつれ1.9mに狭まり、羨道部幅も奥側で1.4m羨道入口で1.8mと広がるワイド石室です。排水溝は玄室内を環状に巡り玄門で合流し、羨道部の中央を通って石室外に出るよう設計されています。 

 

★棺:亀甲型の陶棺片が2~3棺分出土(奈良市の歌姫町出土の陶棺タイプ)

★出土遺物:馬具、金環、刀子、土師器、須恵器の坏蓋、高坏、壷、器台等。飛鳥~中世に至る遺物も出土しており中世には仏堂として再利用されている事が判明しています。(納骨堂的な役割があった可能性も指摘されています)

★築造年代:6世紀末頃

★発掘調査:1976年

★被葬者:聖徳太子妃、菩岐岐美郎女(ほききみのいらづめ)を出した膳氏の可能性あり 

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳

 

メモ

 

【参考文献】

斑鳩・仏塚古墳発掘調査報告(橿原考古学研究所・斑鳩町教育委員会)

・考古学点描(河上邦彦氏)

・斑鳩町の古墳(斑鳩町教育委員会)

・大和の古墳を歩く(森下恵介氏)

 

 

行き方