とうだいじやまこふんぐん

東大寺山古墳群

 東大寺山古墳群は造成前(発掘調査前)から慎重に建設側と県教育委員会で話し合いが持たれ、その結果をもとに建設側も度重なる設計変更に応じ、残すべき古墳は残し開発されています。もちろん全て残すのがいいのでしょうが保存処置に最善を尽くされた中で開発されており、土建業者が闇雲に土取りしたり造成したりしたものとは区別して考えたいと思います。この古墳群の場合はそういう意味では理想的な保存であり、建設、行政、双方の努力に敬意を表したいと思います。現在古墳は前方後円墳の25号、26号墳が現地でそのまま保存され、3基の横穴式石室と小石室2基がシャープ株式会社のインフォメーション前に移築保存されています。

おすすめ度(☆3.5) 

★所在地:天理市櫟本町

※以下の説明文は全て解説板による(原文のまま)

【天理市櫟本町の東側には、通称東大寺山と呼ばれる丘陵地帯があり、そこには4世紀から6世紀にかけて多数の古墳が築かれました。考古学では、これらの古墳を東大寺山古墳群と称しています。かって、シャープ株式会社の敷地内には20数基の古墳が存在し、現在は古墳時代前期の前方後円墳、東大寺山25・26号墳を含む数基の古墳が現状保存されています。また、開発に際して発掘調査した古墳の内、石室の残りが良好であった3基の横穴式石室と2基の小石室を、シャープ株式会社の協力によってここに移築保存しました。横穴式石室は、側壁と天井を巨石で積み上げ、入り口を設けて出入りできるようにした埋葬施設です。玄室と呼ぶ奥の室には、死者を埋葬する石棺や木棺が安置され、当時の土器や武器、馬具、装身具などが副葬されていました。日本書紀や古事記によると、今から1500年前のこの地には古代豪族の和爾氏が存在し、そうした人々が築いた古墳だと思われます】

                     天理市教育委員会 シャープ株式会社

 

メモ

この古墳群は天理市櫟本町の名阪国道に沿った北側の丘陵地で和爾下神社古墳、東大寺山古墳、赤土山古墳等の前方後円墳と現シャープKKの敷地内に存在した小規模の群集墳で構成されています。調査は1969年に工場や研究所建設に先立ち実施され、当時の調査記録によると前方後円墳4基、円墳20基、無封土4基の計28基が存在し調査は前方後円墳以外の20基で調査されました。調査された24基は、いずれも6世紀初頭から6世紀末ないし7世紀初頭にかけての群集墳で、横穴式石室を埋葬主体とするもので、内2基は木棺直葬で遺構はかなり乱れ、ほかの横穴式の22基はいずれも盗掘され、副葬品はおろか石室の石材も運び去られ、満足に遺構を留めるものは1基もなかったとようです。むしろ注目されたのはこの古墳群の下に、県下では最大規模の高地性集落跡が検出されたが事で、当然のことながら古墳がこの上に築造されていた為、遺構は半分ほどに留まっています。

 

【参考文献】

・天理の古墳100(天理市教育委員会)

・遺物が語る大和の古墳時代(泉森皎氏・伊藤勇輔氏)

・大和の古墳を語る(泉森皎氏ほか)

 

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