コンピラ山古墳

 陵墓参考地の築山古墳の前方部の東側にある円墳で築山古墳、かん山古墳狐井塚古墳茶臼山古墳らとともに馬見古墳群の中の築山古墳群にあります。昔、金毘羅神社が墳丘上に祀ってあったことからこの名がついたものです。現在、住宅地と畑地の中で窮屈そうに存在し削られた地肌がそのままでかなり荒廃した状況にあります。見学した時も老人が墳丘裾部を開墾していました。民有地だから仕方がないのでしょうが何とかならないものかと思ってしまいました。尚、解説板、行き先案内等はありませんが築山古墳に隣接しているため直ぐ見つかると思います。単独ではあまり見ごたえはないので近辺の古墳も含め築山古墳群としての古墳巡りがお薦めです。

おすすめ度(☆3.5) 

★所在地:大和高田市築山

★墳形:円墳(径95m、高さ12.7m)築山古墳の陪塚とされてきた。しかしながら陵墓参考地ではない事もあり開発の波に洗われ現在は住宅地の中にあり裾部が大きく削られ更に土砂採取で大きく改変されています。

★埋葬施設:不明(墳頂部のレーダー探査で中心部で反応が出ているが確認はされていない?)

★出土遺物:円筒埴輪、盾形、家形、蓋形埴輪片。墳頂部で出土した埴輪列の内の2本の円筒埴輪内にそれぞれ1個づつ土師器ミニチュア壷が納められていたが埴輪据付後あまり日を置かずに人為的に納められていたようです。県下の古墳では乙女山古墳瓦塚1号墳渋谷向山古墳に同例がある。 

★築造年代:5世紀前半

★発掘調査:1991年他。近年、範囲確認調査が行われた際に周濠の痕跡が発見され、もともとは95mの規模である事が判明した。この大きさは円墳では県下最大級で、全国でも三番目の巨大円墳。陪塚については盟主的な前方後円墳に併存している巨大な円墳という事から当時の権力者の位置付けを考える上で興味深い事例である。

★被葬者:? 

 

【参考文献】

・大和葛城の大古墳群 馬見古墳群(河上邦彦氏)

 

行き方