ほくら

保久良古墳

 石室全体の長さに対して非常に長い羨道部(約6m)を持つ古墳です。斎明天皇の孫で持統天皇や太田皇女を姉に持つ建王(たけるおう)殯塚に比定(1894年)されている古墳ですが健王が亡くなった658年と築造時期は一致しません。開口している南から入室すると羨道部はかなり土砂が流れ込み、勿論、立って進めません。実際の長さ以上に長く感じる羨道部ですが不思議と恐怖感がありません。何故ならば玄室北東部壁面石材の一部がなく、玄室に光が差し込んでいるからです。子ぶりな石室ですが、それなりの雰囲気もある古墳なので、一見の価値はあるかと思います。 

おすすめ度(☆4.0)

★所在地:吉野郡大淀町今木字津角山

★墳形:円墳(復元径約15m、高さ約4m)南に開口。西向き急斜面の土地を造成した後、背面をカットした古墳。墳丘の東半分は削平が著しく玄室北東部壁面石材も一部抜かれ開口している。墳丘西側で人頭大からやや大きめの花崗閃緑岩が列状に積まれ墳丘裾を巡る外護列石と思われる。

★石室:片袖式横穴式石室であるが無袖に近い。全長約9.5m、玄室長3.5m、幅1.3~1.5m、高さ1.8m。羨道長約6m、幅1~1.2m、高さ0.8m。比較的小型の石材が使われている。墳丘中軸から東に寄せて作られており西側に別の埋葬施設の存在の可能性も有るらしい。

★棺:石室内から吉野川の結晶片岩材が採集されており組合式の石棺があったものと思われる。

★出土遺物:不明

★築造年代:7世紀前半(背面カット、外護列石、石室の特徴より)

★発掘調査:2012年(測量調査)・・・大淀町教育委員会

★被葬者:建王の殯(もがり)塚の言い伝えがある。

 

【参考文献】

・吉野郡内の横穴式石室墳 ー保久良古墳の調査成果からー     大淀町教育委員会

 

行き方

保久良古墳は吉野口駅から309号線を今木集落を目指し徒歩で約20分の所にあります。今木集落に入れば学童用のバス停があるので、バス停の横の坂道を北に直進します。突き当たりの右側の小山が保久良古墳です。古墳の北側に石材抜取りの穴がありますが、更に時計回りに回ると解説板と開口部が現れます。