ウワナベ古墳

ウワナベ古墳は、奈良県奈良市法華寺町にある前方後円墳です。佐紀盾列古墳群を構成する古墳の一つで、古墳群の最東端に位置し、もっとも大きい巨大古墳です。墳丘は3段で、巨大な周濠で囲まれています。築造時期は5世紀前半と推定され、応神天皇の娘、仁徳天皇の皇后である八田皇女の陵墓参考地として治定されています。

おすすめ度(☆4.5 

 この古墳で忘れてはならない事は、終戦後まもなく、陪塚を潰し米軍施設が作られる事態となり、当時少年だった森浩一さんらが、横でうなり声をあげるブルドーザーと米軍兵士の監視の中、必死で緊急調査を行い、陪塚の大和6号墳から貴重な多量の鉄製品を発見したのです。中でも鉄鋌は872点にも及びました。森少年にとっては最初に手がけた大和の古墳調査だったのです。米軍の厳しい監視下の中で、克明な記録と、貴重な出土状況のスケッチが残されています。現在ウワナベ古墳は、墳丘は宮内庁、周濠は地元の農家組合で管理されています。

★所在地:奈良市法華寺町宇和奈辺

★墳形:前方後円墳、全長260m、後円部径130m、 前方部幅130m。前方部を南に向ける。すぐ横にあるコナベ古墳は両側に造りだしを持つ古墳ですが、この古墳は西側のみに存在します。3段築成。埴輪、葺石あり。1969年の調査で周濠の外堤の外に幅10mの外壕が見つかり、当初は二重壕であったことが確認されています。なお、陪冢は現在の自衛隊幹部学校内などに6基存在したのですが現在は1基のみ残っています。

★埋葬施設:不明

★出土遺物:西側くびれ部の造出部から土師器や魚形土製品が採集されています。

★築造年代:5世紀前半

★発掘調査:以前、外堤のみ部分的に調査されていましたが2020年に宮内庁の護岸工事事前調査に合わせ、県と市で墳丘に近い周濠区域が初めて調査され、後円部の周濠の北東と東で、葺石の先に墳丘の裾を示す基底石が並んでいるのが確認されました。これは築造当時より墳丘裾が、徐々に池の水で侵食されている事を示しています。従って、全長が約10m広がり、従来の260mより一回り大きい全長270~280mと推定され、佐紀古墳群で最大の五社神古墳(全長267m)を上回ることとなり、奈良県下では箸墓古墳に次いで4番目の規模、全国で12番となることがわかりました。 また、宮内庁の調査区では墳丘の一部が初めて発掘され、一段目のテラスで、「鰭付円筒埴輪」や「鰭付朝顔形埴輪」の列が確認され、二段目の斜面には葺石が良好な状態で残っていました。 

★被葬者:不明。(墳丘の規模などから仁徳天皇の妃、もしくは皇子、皇女説あり)江戸時代には元明天皇陵に当てられた事もありますが時代が合わず、古市古墳群や百舌鳥古墳群と共通点が多い事より河内の大王陵と密接な関係が有ると見られ、被葬者は仁徳天皇の妃、もしくは皇子、皇女等が考えられます。 

★奈良ソムリエ検定テキスト掲載古墳

 

【参考文献】

・大和の古墳を語る(伊藤勇輔氏ほか)

・ヤマト政権の一大勢力(今尾文昭氏)

・天皇陵古墳を歩く(今尾文昭氏)

・大和古墳めぐり(前園実知雄氏ほか)

・考古学点描(河上邦彦氏)

・遺物が語る大和の古墳時代(泉森皎氏・伊藤勇輔氏)

 

行き方 

周壕を持つ古墳で、それを取り巻く外堤を周回する事ができ、部分的に雑草で視界が遮られるものの素晴らしい景観です。