🌸箸墓古墳 (桜井市箸中) 

 

邪馬台国の女王卑弥呼の墓という説もある箸墓古墳は、我が国,最初の大王墓として知られています。現在は倭迹迹日百襲姫命の大市墓として宮内庁が陵墓に指定しているため墳丘内の発掘調査はできないため、江戸時代から続く日本古代史上最大の謎、邪馬台国論争の決定的な証拠はなく決着がつきそうにありませんが、それはそれとして思い思いにロマンを膨らますのもいいものです。                                   

 

箸墓古墳は3世紀始めごろに出現した当時国内最大の集落跡、纏向遺跡にあります。全長約276mの巨大な前方後円墳で当時としてはもちろん、我が国最大の墳墓です。墳丘は前方部4段、後円部5段の段築で墳丘表面には葺石が積まれ後円部墳頂やその付近から吉備地方と同型式の特殊壺形埴輪と特殊器台型埴輪が採集されています。(1976年)又、前方部頂上部やその付近からも底部に穴の空いた複合口縁の壺形土器が採集されています。また1992年の前方部南側の調査の結果では、この古墳は大半の封土を盛土した可能性が高いことが判明しています。

 

周濠については幅約10m程度の周濠と、その外側に基底幅15mを越える大きな外堤が巡っていた可能性あり外堤の所々には渡り堤が築造当初からあったと考えられています。

 

埋葬施設につきましては墳丘裾部分で板石が散見される事より竪穴式石室と思われます。又出土遺物につきましては陵墓指定地外の調査で出土したものとしては木製輪鎧(4世紀初め)等の木製品、土器破片及び宮内庁によって採集された特殊壺形埴輪と特殊器台型埴輪等があります。


 築造年代につきましては研究者により様々ですが後円部墳頂の埴輪及び周濠部等から出土の土器の型式及び墳丘の形態より3世紀中葉ないし中葉すぎと思われます。陵墓なので発掘調査はされていないとされていましたが2012年に朝日新聞社のスクープで1968年に宮内庁で後円部頂上付近で小規模な発掘調査が行われていた事が判明しています。周辺部の陵墓指定外につきましては桜井市教育委員会で断続的に発掘調査中です。