🌸 46.磯城瑞牆宮 伝承地 (桜井市金屋)

磯城(志貴)坐御県神社

 志貴御県坐神社(しきのみあがたにます)は三輪山の西北麓に南面する旧村社で大和国に置かれた六御県(高市・葛木・十市・志貴・山辺・曽布)の一つです。御県坐神社とは朝廷に献上する為の野菜を栽培する神聖な菜園の霊を神として祀る神社です。主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)と言われていますが志貴連の祖神である天津饒速日命(あまつにぎはやひ)とする説など諸説があります。当社の初見は、天平2年(730)の大倭国正税帳の「志貴御県神戸・・・」であり、遅くとも8世紀初頭には存在していたと思われます。


 境内の一画に、「崇神天皇磯城瑞籬宮趾」(すじんてんのう しきみずがきのみやあと)の石碑が建っています(大正14年・1925年、奈良県教育会建立)当地を磯城瑞籬宮趾とするのは、江戸中期の史書である大和志(1736年)に、「三輪村東南志紀御県神社西に在り」と記されていることにありますが、その根拠は不明です。いずれにせよ、このあたりは境内の案内板にもありますように、神聖な三輪山を背後に、歌垣の伝えで名高い古代のマーケット海柘榴市を脚下に控え、大和平野を見渡す交通の要所にあり古代大和王権、発展の拠点ともなりうる条件に当てはまる場所と言えるでしょう。

      

 尚、拝殿の左手前に「磯城島の 大和の国に 人二人 ありしと思はば 何か嘆かむ」という万葉歌碑が建てられています。。「磯城島の」は大和に掛かる枕詞で、この場所と直接的なかかわりは判りませんが「大和の国にあなたのような人がもう一人いてくれたらとしたら、何をこんなに嘆くことがあったでしょうか」という意味です。