🌸 41.狭井川付近・七乙女の伝説

三輪山の麓から西流する小川に「狭井川」と呼ばれる小さな川があります。大神神社の祭神は大物主神で、ご神体は三輪山。神が神を祀ったとされる我が国最古の社とされ、『古事記』にも、たびたび登場し、その一つがこの大物主神の神婚伝承です。

 

伊波礼毘古命(神武天皇)は九州の日向で、すでに結婚し二人の子供がいましたが即位した後、皇后とする為の乙女を探していました。腹心の大久米命が次のように申しました。

  「このあたりに神の御子というべき三島湟咋(摂津の湟咋神社の祭神)の娘で、勢夜陀多良比売という容姿端麗な、ふさわしい乙女がいます。」大物主神は一目見て、すっかり気に入ってしまいました。

 

その勢夜陀多良比売が厠に入っている時、大物主神は赤く塗った弓矢に化けて、その厠の溝を流れ下って、陰(ほと)を突きました。勢夜陀多良比売は驚いて立ち上がり走って逃げかえりその弓矢を寝床のそばにおいたところ、弓矢は、すぐさま美しい若者(大物主神)になって二人は結ばれたのです。そして生まれたのが富登多多良伊須須岐比売命(ほとたたらいすすきひめ)、別名を比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)(陰部(ほと)という言葉を嫌い、後に改めたものです)このようなわけで、「神の御子」というのです。

 さて、七人の媛女(おとめ)が高佐士野(たかさじの)というところで遊んでいました。その中には伊須気余理比売もいました。大久米命は伊須気余理比売を見ると、次のような歌を詠んで神武天皇に申し上げました。「倭の 高佐士野を 七行く 媛女ども 誰れをしまかむ」 (大和の高佐士野を行く七人の乙女たち。その誰を妻としましょうか。)

 伊須気余理比売は、その媛女たちのなかで一番前に立っていました。天皇はその媛女たちを見て、心の中で伊須気余理比売が先頭に立っているのを知り、詠んだ歌は、 「かつがつも いや先立てる 兄をし枕かむ」 (誰と決めるのは難しいが、先頭に立っている年上の乙女を妻としましょうと答えたのです。)こうして大久米命の仲立ちにより目出度く伊須気余理比売を皇后に迎えたのです。

 狭井の名前の由来として古事記に「その河を佐韋河(さいかわ)という由(ゆえ)は、その河の辺に山由理草(やまゆりそう)多(さわ)にありき。故(か)れその山由理の名を取りて佐韋河と名付けき。山由理の本(もと)の名は佐韋と言ひき」とあります。