🌸30.上之宮遺跡(桜井市上之宮)

遺構復元図
遺構復元図

上之宮(うえのみや)遺跡は1986年桜井市上之宮の寺川西岸の河岸段丘上の土地を区画整理する際に桜井市教育委員会で調査が行われました。検出された6世紀末頃の遺構は聖徳太子の上宮(かみつみや)である可能性が高いと発表され当時大きな話題になりました。遺構は6世紀前半から小規模な建物があったようですが6世紀末に大邸宅として整備されていたことがわかっています。・・というのも遺構中央部の柱跡が高貴な人の建物に用いられる二重の長方形状の、四面庇(しめんひさし)の大型建物遺構で北側に長棟の脇殿を配し、東側と南側を柵列で囲み、それぞれに門が備えられています。また西側からは園地遺構が見つかり、庭園部分から日本最古の木簡が出土しています。鼈甲や木器の他、果実の種なども出土して桃やスモモの核が多量に出土したことから周囲には花園があったとみられ当時の園池としては第1級の規模・格式を持っていたと思われます。

 

なお、先に述べましたように「上之宮」という地名は聖徳太子が幼年時代を過ごした宮殿・上宮(かみつみや)ではないかとその関連性を指摘する説もありますが、『日本書紀』などの史書には磐余池のほとりに用明天皇の磐余池辺雙槻宮(いわれいけのべのなみつきのみや)があり、息子の聖徳太子の上宮はその南隣にあったとされているため、磐余池の所在地次第で有力な説となりますが、周辺地域を拠点に持つ阿部氏にかかわる遺跡ではないかとの説もあります。いずれにせよ県下でも6世紀代の建物遺構は珍しく第一級の価値があります。発掘調査後、埋め戻され園池遺構は、その上に原寸大に復元し公開されています。