🌸18.磐余稚櫻宮 伝承地 (桜井市池ノ内)

 桜井市池ノ内の集落の東の小高い丘陵上に鎮座する式内社です。履中天皇磐余稚桜宮跡という伝承があります。祭神は 出雲色男命 (いずもしこおのみこと)、去来穂別命 (いざほわけのみこと)=履中天皇、気息長足姫命 (おきながたらしひめ)=神功皇后。春日造の本殿向かって右に高麗神社、左に天満神社の境内社が鎮座、前に神門と切妻造の拝殿があります。 創祀年代は不詳です。

 

堀井孝昭著の「わがまち桜井」によりますと「・・・・この神社は小高い丘陵にあり、ここから西北にのびる低い丘陵の上に、桜井市池ノ内、橿原市東池尻町の集落があります。この丘陵の先端部を断ち切って戒外川(米川)を流し、その西方の字「島井」という地名があり、北方には「樋ノ口」「樋詰」「堀切」「池尻」など池の所在を示す地名が残されています。すなわちこの池は若桜神社と御厨子(みずし)神社の両給丘陵をうまく利用しこの丘陵の間約250mに堤を築いたと考えられ池の面積は現在、奈良県で最大といわれる、倉橋溜池に匹敵すると思われます」とあります。

 

近年の発掘調査でも池の堤あとなどが見つかり、この池が古代史に登場するも、今まだ所在が確認できない磐余池の可能性が出てきています。周辺には池ノ内古墳群や御厨子観音などの旧跡もあり散策しながらロマンを膨らませるには絶好のエリアかもしれません。

 

境内入口には当神社の由緒などが書かれた説明板がありますので原文のまま紹介いたしましょう。(当神社の由緒や祭神については諸説がありますが当サイトは神社の説明版に準じて掲載しております。) 

 

神社名「稚櫻」の由緒
 日本書紀によると「第17代履中天皇3年(402年)冬11月6日 天皇が両枝船(ふたまたふね)を磐余市磯池(いわれいちしのいけ)・(神社の東側にあった池)に浮かべて遊宴(あそ)ばれたとき 膳臣余磯(かしわてのおみあれし)が酒を奉った。その酒盃に櫻の花びらが散って来た。  天皇はたいへん不思議に思われ、物部長真胆連(もののべのながまいのむらじ)をよんで「この花は、季節外れに珍しく散ってきた。どこからだろうか探してこい。」といわれた。長真胆連は花を探したずねて掖上室山(いけのへのむろやま)で花を手に入れて奉った。天皇はその珍しいことを喜んで宮の名とされた。磐余稚櫻宮の由緒である。長真胆連は本姓(もとのかばね)を改めて、稚櫻部造(わかざくらべのおみ)とし膳臣余磯(かしわてのおみあれし)を名づけて稚櫻部臣(わかざくらべのおみ)という。」と記されている。