🌸 16.万葉に歌われた倉橋山

 記紀万葉で知られる倉橋山は一般的には忍阪の南方の音羽山(851m)か、あるいは音羽山を主宰する連峰と言われています。磐余の方から東南方に見える一番高い山です。

古事記に、この倉橋山について次のような伝説があります。

 

 「仁徳天皇が弟の速総別王(はやふさわけのおおきみ)を仲人として妃として女鳥王(めどりのおおきみ)に求婚された。女鳥王は皇后(磐の姫)の気性の激しさを恐れ断り、使いの速総別王の妻になってしまった。一方天皇は復命がないので自身で女鳥王の家に出向き機(はた)を織っている女鳥王に、お前の織っているのは誰の召し物かと (内心自分のものだと心のうちで思い) 訊ねたところ女鳥王は速総別王のお召し物ですと答えた。

 

 天皇は怒って二人を捕まえようとしたところ倉橋山へ手に手をとって逃避行した。この時、 

「はしだての 倉橋山を険(さが)しみと 岩かきかねて わが手とらすも」と

「はしだての 倉橋山は険しけど 妹と登れば 険しくもあらず」 

と二人の愛の深さを物語るうたが残されている。しかし、この後、宇陀の地に逃れようとしたが曽爾で捕まえられ二人とも処刑されたという悲しい物語が残されています。

 

 また万葉集にも倉橋山を詠んだ次の二首がよく知られています。  

梯立の 倉橋山に立てる白雲 みまく欲り わがするなべに 立てる白雲

                        柿本人麻呂歌集

倉橋の山を高みか 夜隠りに 出て来る月の 光乏しき        

                        間人大浦